こんにちは、スタッフの渡辺です。普段から下肢の症状をインソール・シューズを用いて治療していますが、そもそも僕は「靴」というものが大好きです。なので今回は日本の履物の歴史についてまとめてみました。
👞 日本の足元ヒストリー:なぜ私たちは家で靴を脱ぐの?
みなさん、家に帰って玄関で靴を脱ぐとき、その理由を考えたことはありますか? 実は、日本人が室内で靴を脱ぐ習慣を守り続けてきたのには、深い理由があるんです!
1. 始まりは「田んぼ」から?
日本の履物のルーツを辿ると、なんと弥生時代まで遡ります。当時の人々が使っていたのは、水田作業で足が沈まないように工夫された**「田下駄(たげた)」**でした。板に紐を通しただけのシンプルな構造が、のちの草履や下駄へと進化していったのです。
ちなみに、縄文時代には足を包む**「モカシン」のような靴**も存在していました。狩猟中心の生活には、足をしっかり包む靴の方が便利だったようです。
2. 「脱ぎやすさ」が文化を作った
日本で「靴」ではなく「草履や下駄」が発達したのは、日本の高温多湿な気候が大きく関係しています。湿気が多い日本では靴だと足が蒸れやすいため、通気性の良い履物が好まれました。
さらに、日本の家屋構造も重要です。「室内では靴を脱ぐ」着脱が簡単なことが何よりも優先されたのです。 また、日本人の精神性として家の中(ウチ)と外(ソト)を明確に分ける意識も、この文化を支えてきました。
3. 文明開化と「洋靴」の衝撃
幕末から明治にかけて、日本に西洋の靴がやってきました。 当時の使節団の人たちは、アメリカで部屋一面に敷かれた絨毯の上を土足で歩く西洋人を見て驚愕したというエピソードも残っています。
明治時代になると、軍隊や官公庁を中心に洋靴の導入が進みます。
- 1870年(明治3年):西村勝三氏によって日本初の本格的な靴工場「伊勢勝造靴場」が設立。
- 1872年(明治5年):大塚商店(現・大塚製靴)が創業し、日本人の足に合った靴作りが始まりました。
当初、靴は非常に高価な「開化の風物」で、巡査の初任給が4円だった時代に、一足5円〜15円もする高級品でした。
4. それでも「脱ぐ」ことは譲れない!
近代化が進み、公共の場では靴を履くのが当たり前になっても、日本人は**「家庭」と「畳の部屋」だけは土足禁止**を守り抜きました。 西洋文化を積極的に取り入れながらも、この境界線だけは譲らなかったのは、日本人の面白い民族性と言えるかもしれません。
5.治療家として取り組みたいこと
今回のお話はいかがでしたでしょうか?
この文化は日本独自のものではなく海外でも靴を脱ぐ文化を持っている国があるそうです。
医学の進むヨーロッパやオーストラリアなどは靴も身体の一部という認識が強く靴医学というジャンルが確立されています。
しかし日本ではまだその認識がなく、靴の選定基準は「脱ぎやすいかどうか」が最優先されています。
脱ぎやすさばかりを求めすぎると靴を選ぶ上で重要な安定感が乏しくなります。
当院では靴を「単なる履き物」ではなく「身体の一部」と捉えていただけるように靴の大切さを伝え続けていきたいと考えています。






